相馬小高神社

相馬小高神社は相馬野馬追祭仕上げの神事である三日目の野馬懸祭に重要な役割を果たしています。

相馬小高神社は、中世の奥州相馬氏の居城であった小高城跡にあります。小高城は、奥州相馬氏が下総国から移った鎌倉時代の終わりころから江戸時代の初めまでの約280年間、奥州相馬氏の居城でありました。奥州相馬氏はこの城を拠点として、南北朝の動乱や伊達氏との抗争を繰り広げました。小高城は中世の城としては小規模なものですが、土塁などが現在もよく残っており、その姿から、別名を「紅梅山浮舟城」と呼ばれ、住民に親しまれています。
 江戸時代になり、相馬氏が中村城(相馬氏)に移ったあとも妙見が祭られており、明治時代に小高神社、戦後に相馬小高神社と改称しました。現在は、国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の3日目の野馬懸の祭場地として広く知られており、その江戸時代の様子は、相馬小高神社に奉納されている県指定有形文化財「相馬野馬追額」などからうかがえます。
 神社境内には、雷神社・奥の院・天満宮・棚機たなはた神社なども多数祀られ、初詣には多くの参拝者で賑わうとともに、桜の名所としても有名です。

相馬小高神社|小高観光協会|福島県南相馬市 (odaka-kanko.jp)

工事中のこちらは、社務所の新築現場です。

完成は来年、楽しみです。

そして、おみくじを引きましたら、大吉でした!!

今年は、もの凄い年になりますよ!!

壁の素晴らしさ、左官の素晴らしさを皆さんにお伝えできるよう、精進してまいります。

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この記事を書いた人

50年後100年後も歴史的建造物のある日本の文化的な風景を未来の子どもたちに残すために、左官の文化や左官の技術を後世に伝える活動をしています。

そして歴史的建造物の魅力と保存の重要性・左官職人の必要性を多くの方に知っていただき、塗り壁という日本の建築文化・生活文化の保存と普及につとめてまいります。

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